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受け継がれる想い

創生水開発者である父から受け継ぐ想い

当社代表者である深井正利は、創生水開発者である、父利春の遺志を引き継ぎ、2021年、aqua vivi事業を開始しました。

aqua_vivi_アクアソリューションズ株式会社_深井利春

​創生水開発者 深井利春

 深井利春はかつて、洗剤で汚染される河川を見て、地球環境の未来を憂い、洗剤のない未来を目指しました。その結果、彼により開発されたのが『創生水』です。しかし2020年秋、深井利春は志半ばにして病に倒れ、この世を去ってしまいます。

 aqua vivi は利春の息子である当社代表の深井正利が亡き父の遺志を引き継ぐため、創生水に改良を加えて生み出しました。ここでは aqua vivi の源流となる創生水と開発者深井利春についてご説明させていただきます。

01_開発のきっかけ

 深井利春はかつてホテルやレストラン、研磨工場といった事業を手掛ける実業家でした。事業は順調であり、さらなる事業展開を検討していました。そのような中で新たに目をつけたのが南国フルーツのハウス栽培。このとき栽培で使う水にホテルの排水を利用できないかと考え、ハウスに排水を引いてみたのがすべてのはじまりでした。利春の目に映ったのは泡だらけの水、洗剤で汚れた水だったのです。当時はまだ下水道設備がいきわたっておらず、一部では排水が川に垂れ流しにされていました。

「水を汚せば人間に必ず返ってくる」

 

 利春は仏教徒であった父の言葉を思い出します。当時、アトピーやアレルギーを持つ子供が増加しており、これも水を汚したことの見返りだと利春は考えました。
 やめよう。そう決断した利春は翌月から事業を畳む準備に入ります。事業を売却して得た1億円の資金を元手に、洗剤の代替となる安全なものを開発する研究を始めました。1986年、当時39歳のときでした。

aqua_vivi_アクアソリューションズ株式会社_創生水_歴史資料①

​当時経営していたレストランの従業員と利春

aqua_vivi_アクアソリューションズ株式会社_創生水_歴史資料②

​当時経営していたレストランと千曲川

02_毒は薄めても毒

 当時、化学に対する知識が乏しかった利春は大学教授や専門家の協力を得ながら研究を進めていました。その結果、最初に開発したのが石鹸を200分の1に薄めたお湯が出るシャワー機、『スーパーシャワープロ』でした。洗浄力はそのままに、排水でも金魚が生きられます。これなら川に流しても大丈夫だと確信した利春は、協力していただいた関係者に報告して回りました。しかしその際、一人の教授から思いもよらぬ言葉を聞くことになります。

「あのね深井君、いくら薄めても毒は毒だよ。」​

​ なぜ今までそのことに気づかなかったのか。浅はかさへの悔しさと、道を踏み外さずに済んだことへの安堵とともに、苦言を呈してくれた教授へ利春は感謝しました。結局、1台も販売することなく製造を中止したスーパーシャワープロ。しかし、これは無駄ではなく、この研究から得た知見は次の開発へと引き継がれました。

スーパーシャワープロ

aqua_vivi_アクアソリューションズ株式会社_創生水_歴史資料③

03_飲める水で洗う

aqua_vivi_アクアソリューションズ株式会社_創生水_歴史資料④

洗浄太郎

 飲める水で洗う。スーパーシャワープロの失敗から、一つの基準ができました。この基準を満たせるのは水だけだと利春は直感します。洗剤がなかった時代には川で洗濯をし、髪も洗っていた。水には本来洗浄力があるはずであり、その洗浄力を今より引き出せれば、洗剤を使わずに済むのではないかと利春は考えました。スーパーシャワープロの開発で軟水の洗浄力が高いことを発見していたため、軟水器に何かを加える方向で洗浄力を高めようとします。

​ そんなあるとき、電気石が水のクラスターを小さくするという話を耳にします。クラスターが小さくなれば洗浄力が高まることを知っていた利春は、様々な電気石を集めては試します。積み重ねた試験の結果、トルマリンセラミック(電気石)が最も洗浄力を高めていることを発見。こうして、飲める洗浄水が完成しました。洗える水を作る器械を『洗浄太郎』と名付けました。

 それからというもの、利春はTV番組に出演したり、チラシを撒いたりと、精力的に販売活動に励みました。事務所も構えるようになった頃、お客様から一本の電話が入ります。

 

「洗浄太郎の水は健康に良いのか?」

 洗浄太郎は人間ではなく地球のために開発した水です。人間の体については考えていませんでした。とはいえ、軟水器とトルマリンセラミックを通過しただけの水。身体に悪いはずがありません。そう答えたものの、利春はひっかかりを覚えました。そこで身体にもよい水にすることを決意します。

​ 当時、水道水に含まれる塩素問題への関心が高まりつつあり、浄水器やアルカリイオン水が流行り始めていました。ビジネスチャンスにもなるととらえた利春は、身体にもよい水の研究を始めたのです。

04_縄文人の教え

 ある日、たまたま読んでいた地元の新聞記事に目が留まりました。地元長野県が産地である黒耀石について書かれた記事であり、縄文人が黒耀石を発掘していた痕跡が多数見つかっているが、なぜこんなにも黒耀石を必要としていたかわからないという内容でした。確かに刃物として用いるだけであれば、大した量は必要ないはずです。

 

もしかしたら水の保存に使用していたのではないか。

​そう直感した利春は、試しに水に黒耀石を加えてみました。すると酸化還元電位が下がり、信じられないほど水がまろやかになりました。そして洗浄力の向上も見られました。こうして洗浄太郎に黒耀石が加わり、『創生水』が誕生しました。

aqua_vivi_アクアソリューションズ株式会社_創生水_歴史資料⑤

かつての​創生水の広告資料

aqua_vivi_アクアソリューションズ株式会社_創生水_黒耀石

aqua vivi でも使用する和田峠の黒耀石

05_引き継がれた夢

 それから利春は全国各地で講演会を行い、創生水を広げていきます。その志に感銘する人が一人、また一人と現れ、器械も次第に売れていきました。深井の講演を聞き、共に働きたいと全国から仲間達も集まってきました。こうして共感の輪が広がり、27年間で全国2,000ヶ所に創生水の生成器が設置されました。そのうち八割は一般家庭、残りが美容室や飲食店といった事業所です。家庭の排水から洗剤が消え、シャンプーを使わない美容室や、食器洗剤を使わない飲食店が生まれていきました。

 地球環境を変えるためには、より一層この取り組みを広げていかなければいけません。そのような中、2020年、利春は病に倒れ、志半ばで帰らぬ人となってしまいます。創業者を失った会社は半年後に倒産し、創生水の歴史は幕を下ろしてしまいました。

 利春がかつて憂いていた、地球環境の未来の不安は徐々に現実になって来ています。環境問題はよくなるどころか悪化の一途を辿っています。

​父が生涯抱いた志の火を絶やしてはならない。

​ 利春の息子である、当社代表の深井正利はかつての創生水を改良し、新たに『aqua vivi(アクアヴィヴィ)』として世に送り出すことにより、父の想いを引き継ぎ、地球の未来のために動いてまいります。

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